【New】れきしんプロデュース!瀧善三郎顕彰・金川まちおこしプロジェクト特設ページ
この度、れきしんプロデュースとして、御津金川の「七曲神社」、御津金川の偉人瀧善三郎(たきぜんざぶろう)の子孫「瀧善三郎正信を偲ぶ会(善三郎会)」、おかやま観光特使の後藤勝徳が代表を務めます「一般社団法人歴史新大陸」の3団体を中心に『瀧善三郎顕彰・金川町おこしプロジェクト』として、瀧善三郎公の偉業を讃えつつ御津金川の地域活性化を目指すプロジェクトを発足いたしました。
◆岡山が世界に誇る偉人で町おこし
本プロジェクトは、瀧善三郎が争いごとから日本を護ったという功績をたたえ、新渡戸稲造著『武士道』でも数ヶ国語で取り上げられ、世界的に名を知られたラストサムライ瀧善三郎公が岡山の地に居たという歴史を、岡山県から全国へ再度広く発信し、地域の振興を図る事を目的としています。
プロジェクトの記念すべき第一弾の実行として、七曲神社境内にあります「瀧善三郎正信義烈碑」の説明看板の新設を行います。
つきましては、看板の除幕式を来る5月22日(日)に行う予定です。
式には瀧善三郎公の子孫の方々や、御津金川を語り継いでくれる地元の子供達を招いて、実施いたします。
金川以外の方々もお越しいただけますので、除幕式へご参加ください。
(※除幕式は滞りなく終了いたしました。沢山の方のご参列ありがとうございました)
◆命をかけて外交問題を解決したラストサムライ「瀧善三郎」と「神戸事件」について
瀧善三郎は、天保8年(1837年)御津金川の地に生まれた槍と大砲の扱いが得意な武士でした。
明治維新直後のまだ世の中が不安定な時期、瀧善三郎が属する備前岡山藩は西宮の警備を命じられました。
兵隊の列が神戸三宮神社の近くに来た時、フランス人の水兵が行列を横切ろうとしました。
兵隊の隊列を横切るのは、日本でも海外でも、非常に無礼な行為なので、瀧善三郎がこれを止めました。
しかし、フランス人水兵が全く言うことを聞かず争いになり、得意の槍で水兵を追い払いました。
ところが逃げた水兵たちが鉄砲を持ってきたので、隊列と撃ち合いになりました。
ちょうど神戸開港に居あわせたイギリス・アメリカなども怒り、神戸の町を不法に占拠したり
無関係の他藩の軍艦を拿捕したり、金品を強奪したりしました。
けが人は出たものの、どちらにも死者は出ませんでしたが、諸外国の怒りは収まらず瀧善三郎の処刑を要求してきました。
これが明治維新後、最初に起こった外交問題となったのです。
このままでは、諸外国と日本の戦争になってしまうと考えた瀧善三郎は、潔くこの神戸事件の全責任を一人で背負い、慶応4年2月9日(明治元年、1868年3月2日)、伊藤俊介(のちの初代総理大臣伊藤博文)や諸外国の関係者が見守る中で見事な切腹をして果てました。
命をかけて責任をとった瀧善三郎の見事な切腹に、外国の関係者も深く感銘を受け、神戸事件は収束し、日本は諸外国から攻撃を受けずに済みました。
備前岡山藩の藩主・池田茂政公は自らの命を犠牲にして外交問題を解決した瀧を讃え、瀧の息子成太郎を直参にし、家禄を五倍にして報いました。
また生まれたばかりの瀧の娘が成人して養子を迎えることで、瀧家の家禄を保証することを約束しました。
この瀧の切腹はイギリスの新聞で報じられ、大きな話題となりました。
(The Illustrated London News)
その後、新渡戸稲造が1900年(明治33年)に英語で『武士道』を刊行、瀧善三郎の事を紹介し、セオドア・ルーズベルト米大統領を始め、世界中に大きな感銘を与えました。
こうして命をかけて外国との紛争を解決した瀧の生き様は、世界でいまなお語り継がれているのです。
(瀧善三郎の墓地は岡山の東山墓地にあります、詳しくはこちらの記事を御覧ください。)
◆瀧善三郎顕彰&金川まちおこしプロジェクト概要
①瀧善三郎義烈碑の説明看板を修繕(現在修繕済)
かなり傷みが激しく字も読みづらかった看板。
七曲神社を訪れる人向けに義烈碑が何であるか、瀧善三郎がどの様な武士であったかを詳しく書いた看板を新設いたしました。
②義烈碑の本文の看板を新設
こちらも木枠の腐食が進んでしまっているため新設する。
瀧善三郎公の功績を、現代語訳やイラストをつけて地元の子供や参拝者にわかりやすく表記する。
③七曲神社のホームページを作成
神社の沿革、金川の歴史、獅子舞、そして世界的に著名な瀧善三郎公についての案内と、英訳文も兼ねて掲載。
観光客や区外からの参拝者にもわかりやすく知ってもらうためのページを作成。
④オリジナルコラボお守り
地元岡山・日本が生んだ素晴らしい素材高梁市西江邸所有のローハベンガラ、手漉き和紙(横野和紙、備中和紙、神代和紙)などを使用したアクセサリー工房「オリオンの三ツ星」さんとコラボレーションして、七曲神社オリジナルお守りを計画中。
⑤七夕みたま祭り
(イメージです)
七曲りという名の「7」、玉松城が落城した日が「7月7日」、不思議なほど数字の「7」に縁がある金川です。
神社裏手の玉松城落城以来、七夕に祭りをする週間がしばらく途絶えてしまったここ金川ですが、せっかくこれほど「7」にご縁があるのを活かして、鎮魂の意味を込めて七夕に盛大にみたま祭りを実施したいと考えています。
色とりどりの竹の灯籠や、提灯で七曲神社をイルミネーションで染め上げ「映えスポット」を誕生させます。
美しいイルミネーションに囲まれて御魂の安らかなることを祈ります。
◆プロジェクトへのご寄進をお願いいたします
瀧善三郎顕彰・金川まちおこしプロジェクトでは、広く皆様からの浄財のご支援を募っております。
皆様からのご支援は、本プロジェクトを推進するために大切に使わせていただきます。
大変恐縮ではございますが、本プロジェクトの趣旨をご理解いただき、偉人顕彰のため、倍旧のご支援・ご協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
ご協力金は下記までお振込みをお願いいたします。
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トマト銀行(0566) 茶屋町支店(028)
普通:1707632
シャ)レキシシンタイリク
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